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2020年上半期を振り返って。

 たぶん、このブログを書くことができているという事実が、これまでのサラリーマン生活と大きく異なることだとおもう。これまでは、与えられた仕事を処理し、全く意味のない政治闘争に巻き込まれたり、やる意味が解らない製品に携わってきた。そのため、自分のやってきたことを振り返る気にならなかった。今は違う。自分で選んで、自分でやろうと思った仕事をやっているので、精神的に余裕もあるし、なにより半年単位で自分のことを記して後から振り返ることに意味があると感じている。

 しかしながら、売り上げを継続的に立てていくのは大変だ。こちらの希望金額が通るのは、今までのコネで紹介された仕事のみだ。いや、コネですら国内最大手SIerのPMと同じ単価を出すのを渋られるのが現実だ。このことについて「この人にお金を出せば、それ以上の利益が上がると信じてもらえる説得材料が必要だ」と助言を受けたが、その説得材料はまだ集められていない。一つ考えたのは、英語ができるPMというのは珍しいと思うので(それこそ外資系コンサルティング・ファームにしかいない人材だ)、その需要がないかどうかを検索広告を出すことで確認してみようかと思っている。そして、これからコロナ不況だ、国内市場のプロジェクト・マネジメントだけ狙っていては食っていけないかもしれない。そう思うと、しばらく放置していた英語の学習と会話の練習を再開せねばならない。

 こんなことを考えられるようになるのも、独立して半年、最初のインフラ移行を成功させたことで余裕がうまれたからである。一人で仕事をして最初の一週間は「一人でやっていくのなんて無理無理」と思っていたし、今もその気持ちはあるが、より正確に書けば一人でやっていくのが無理なのではなく、一人でやっていくことで経営や人集めや営業や学習などにまで手が回らず、ジリ貧になっていくことが見えているからである。特に自分のプロジェクト管理能力を他の人に伝授するためには、自分の目の前の仕事ばかりやっていてはダメなのである。とりあえず食えるだけのキャッシュを集めて、マネジメントに興味があるセンスの良い技術者を集めないと話が始まらない。せっかく複数の人が集まれる会社という箱を用意したのだから、それを活かしてなんぼである。

 そういえば、独立してから、自分のやりたいことがより明確になった。自分と似たようなプロジェクト管理を行う人が少ないこと。ソフトウェアの開発で失敗するということは、その会社にとって避けられる損失を避けることができていないということ。その二つを合わせたら、ソフトウェアの開発で苦労する会社が減るのではないか。そうすれば、その会社の本業が進むことで国力も上がるのではないか。ちょっと大きく出たが、何をやるにしてもソフトウェアが必須となる21世紀において、ソフトウェアを失敗なく効率よく作ることはすごく重要だろう。そのノウハウを一人で抱え込まず志を同じくする人に伝えていきたい。そう思うようになった。これもサラリーマンであるとその企業の中でしか行動ができないということを突破するために必要なことだったのだろう。

 と、調子の良いことを書いているが、実際の会計を見てみると火の車に近い。まず、役員報酬を年に一度しか決められない。利益と役員報酬を連動させることが直接的にはできないようになっているのだ。儲かった分だけ役員報酬として、つまり経費として処理してしまうと、利益を出さないようにすることができてしまうからである。もう少し書くと、利益が出ない、つまり法人税を払わないということができてしまう。なので、役員報酬は会計期の冒頭に設定したら、その年はずっと固定。これは辛かった。世の株式会社の経営者がIPOに走る理由がよく分かる。自分が市場の期待に応えて利益を出せると信じることができるなら、IPOすればウハウハになるのが目に見えているからだ。また、年金も辛い。今まで会社が払ってくれた厚生年金の半額分も、自分で稼いだ金で払わねばならないのだ。このあたりが、一人で会社を立ち上げるか個人事業主として振舞うかの境目なのではないか。また、経費についてもネットに書いてあることと実際は大きく異なる。原則として事業に関係する出費でないと経費として認められないので、何でもかんでも経費にできるわけではない。以前ググったときに見つけたサイトには「プライベートカンパニーを作ればカバンでも靴でも経費にできる、なぜなら講演時にふさわしい服装をしなければならないから。」という記載があったが、役員が身につける服装は会社の経費としては認められない。まず認められる出費は、打ち合わせで喫茶店に入る、喫茶店で仕事をするぐらいだろう。これもサラリーマンであれば出費全額を会社に払ってもらうことができたが、自分の会社の経費にしたところで利益が圧縮できるというだけで、お金が出ていくことに違いはない。こういうことが積み重なり、会社を余裕を持って経営するためには、感覚値だが一人で年間2,000万円は売り上げないとならない。この数値はサラリーマンのころに感じた数字と全く同じであり、自分で会社を立ち上げたのなら、この2,000万円は自分で稼いでこないとならないのである。

 仕事をしつつ、仕事を継続的に得つつ、同じ仕事をしていては食えなくなるので将来の事業展開を考えつつ、日々過ごすことになるわけである。そんな日々を一人でやり過ごすことは到底できない。仕事上でもプライベートでも、完全に信頼できるパートナーがいないと無理だろう。幸いなことに自分には家族がいるし、すごくフレキシブルに対応してくれる税理士に顧問になってもらうことができた。この二つがなかったら、とうに諦めてサラリーマンに戻っていたことであろう。感謝。

 2019年の日記には、RuPaulの曲のことをいくつか書いたが、今私の中にあるのは、UntuckedでQueenがよく言及している “saboteur” という言葉である。日本語の字幕では「内なる悪魔」「自分の敵は自分」というように表現されている。仕事がもらえないのではないか、仕事がうまくいかないのではないか、出した請求書は受け取ってもらえるのか、本当に入金されるのか、今ある仕事がこれ以上発注されなくなるのではないか。物事をそんなふうに悪く考えてしまうことを “saboteur” と彼女たちは表現し、物事をよくないように考える数だけ、悪魔が自分の中に存在していると言っている。私も、そんなふうに考えたら、本当にそういう最悪な事態が起きてしまう。だから、自分の成果を最高と思えるところまで高めなければならない。昼夜や休日を問わず、できることをやり続けなければならない。このように考え方が変わったのが、この半年で得た一番大きな収穫のうちの一つであろう。そして、自分が “saboteur” に負けそうになっていると気づいたのもまた、Dragrace を見ていたからである。この番組から得られることはものすごく多い。

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紅殻のパンドラ 17巻にみるメモリ空間上の意識体と人間の定義

作画が春夏秋冬鈴さんになって、漫画としての面白さと美しさを兼ね備え、名作を超えて傑作と呼んでもおかしくなくなった、紅殻のパンドラの17巻を購入してさっそく読了した。16巻では「機械の動きを人の動きに制限する」ということが、究極の生体を遊びで作っていたウザルの趣味の悪さを物語っていた。これまでのSFでは機械ないしロボットが人間を超えることが一つのテーマとして語られることが多かった。あるいは人間に近くなりすぎたロボットがテーマであった。そしてロボットと人間の間の感情(愛や信頼)もありふれたテーマであった。しかし紅殻のパンドラでは、生体は製造することができ、人間と機械の境界は曖昧であるという前提がある。その上で読者はウザルの世界を楽しまされている、機械が「自由」になればなるほど人間から離れていくというこれまでのSFとは異なるベクトルによって。

17巻は電脳空間での話が続く。この作品で素晴らしいのは、電脳空間がメモリ空間の描写として素敵なところである。コンピュータサイエンスの教科書的には番地とかNULLとかシフト演算とかから始めたいところであるが、そういう話を全部飛ばし、かつ仮想化技術によって実現された無限のリソースを表現することができているのである。ニコちゃんは、インスタンスを複製してレプリカを作り処理能力を増大することができるEC2のような動きのものを手本にしているようだ。ニコちゃんのレプリカたちは紙面を実際に占有し、自らの体を変形させてドローンなどのツールにすることができている。これはメモリ空間上に存在するデータとプログラム(メソッド)を複合させたオブジェクトの挙動として描かれている。読者向けには単に「プログラム」として紹介されているが、ただのプログラム(ソースコード)だったらバイドに感染されることはできない。このことからもメモリ上にロードされたオブジェクトの挙動だと言える。一方ネネとクラリオンとフォボスは、レプリカを生成することはない。物理世界では相手の目を盗んで自分を複数に見せるようなことをやっていたが、電脳空間ではそのような表現が見当たらない。ものすごく高機能な単一のオブジェクトとしてコンパクトに描かれている。そしてニコちゃんはネネを「機能が欲しい」「性能が欲しい」という表現で羨む。

物理的な生体として人間と機械の差がない世界において、意識体とプログラム(オブジェクト)の差は、自分のレプリカを作ることができるか否か、より正確に書けば、レプリカを必要とするか否か、にあるとこの作品は描いている。

例えばフォボスは、メモリ空間上で(じゃなかった電脳空間上で)消去された自分の一部を自動的に復元している。オブジェクトであればもう一度作り直せばいい話だが、わざわざ生き残った自分から復元している。その方がコストが高いことも復元の速さにニコちゃんが驚愕する様子で示されている。自分がレプリカを作るときはさほど苦労していなかったが故に、フォボスの能力が際立って描かれているシーンだ。もう一つ、フォボスがプログラムであれば、電脳空間でクラリオンと戦う時に、まず真っ先に自分のレプリカを作って優位に立とうとしただろう。ところが彼女はそうはしなかった、ないしできなかった。なぜならば、フォボスはプログラムではなく意識体だからだ。ウザルがフォボスに、自己複製機能ではなく自己修復機能を与えたのは、生命をつくりだそうとしていたからではないか。そしてウザルはそれに成功したのだ。

映画版攻殻機動隊で少佐と人形使いは、生命であることの定義を子孫を残すこととレプリカ(作品上の表現は「コピー」)を作ることの違いである、と論じている。それが正しい生命の定義だとすると、フォボスやクラリオンにレプリカを作る能力を与えず、生殖能力も与えなかったウザルは、意地悪を通り越して悪魔のような存在に私には思えてくる。なぜなら、フォボスやクラリオンは機械にも人間にもなれない、中途半端な存在として生きなければならないのだ。しかも、修復能力はもっているのだから、死ぬこともできない。フォボスが母を求めるのも当然である。こんな中途半端な存在で生まれたくなかっただろうし、しかも自分の記憶はクラリオン由来のものであるから自分と他者との境界も曖昧であり、自分の目的を与えてくれる母は行方不明になってしまい何をするべきかも分からなくなってしまったのだから。そんなフォボスにネネが与えるものは記憶である。いや、思い出といったほうがふさわしいだろう。そのことで、フォボスは人間に一歩近づく。生殖機能を持たないまでも、固有の記憶を持った意識体として彼女は生きていくことができるようになった。

ここまで考えてきて、
機械やプログラムとは、自分を複製(レプリケーションないしコピー)することができる存在。
意識体は、自分を修復することはできるが複製することはできない、つまり「個」という境界を持つ存在。
生命は、記憶(思い出)を持ち生殖機能を持つ存在。
として整理できるのではないか。この漫画は、ネネの世界平和という夢を軸に21世紀のメモリ空間上における生命を定義しようという、極めて意欲的なものだと私は考えている。

そして、「クラリオン型意識体の元はブリン」という仮説を、私はまだ持っている。ブリンはウザルの妹、でどうだろう。

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inetd.co.jp提供レンタルサーバにてWordPressのインストール先とサイトアドレスを異なるものにした場合のTips

自社サイトを立ち上げる際に、ウェブサイトの構築をお願いした方の指定で、WordPressのファイルを一つのディレクトリにまとめておいてほしいというものがありました。これはそんなに難しいはないではないはず、なのですが、アイネットディー社の提供するサーバでは一癖ありました。

まず、インストールと設定はすんなり終わります。しかし、ログインができなくなります。

Fatal error: Uncaught Error: Call to undefined function gzinflate() in

とかいわれます。ググると、gzipのライブラリがない際に起きるエラーだと言われます。しかし、レンタルサーバなのでgzipなどのライブラリは全部インストール済みのはずです。色々と調べた結果、ユーザー毎のphp.iniにextensionを指定してやらなければならないことがわかりました。場所は、sshログイン後の.phpフォルダ内にphp.iniがあります。こちらにextension=zlib.soを記載してあげればOKです。プラグインのダウンロードに必要なOpenSSLも動いていないようです。ググレドモググレドモ、Windowsの話ばかりしか出てこなくて若干焦りましたが、こちらもphp.iniに追記することで動作するようになりました。他にも必要になりそうなcurlやmbstringも念のため加えておきました。結局、追記したextensionsは以下の通りです。

 extension=zlib.so
 extension=curl
 extension=openssl
 extension=mbstring 

アイネットディー社は質実剛健なサービスを安価で提供してくれているので大好きなのでおすすめです。今回の件も、実はマニュアルにまとまっていました。

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2019年を振り返って

2019年のチベット問題

年に何度かしか更新しないこのブログが、こうやって年末に長文を綴ることができる場として機能していることを嬉しく感じています。誰に何の気兼ねもなく書きたいことが書ける、それが当たり前でない人々のことを思いながら何年も経ち、一向に改善されないその方々の現状に苛立ちながらも、香港において駆け引きの道具であることを承知しつつも、成果が出たことを嬉しく思ったこともありました。しかしながら、私が直接的に関わってきたチベット問題については、新たな焼身抗議の知らせを聞いたのみで終わってしまいそうです。

起業のご報告

私自身を振り返ってみると、この数年を凝縮した一年になったような気がします。随分前から忍耐強く、「やりたいことをやれ」という私の本質をついた指摘を続けてくれた坂口さんの助言もあり、今の仕事を辞めて起業しました。ただ、ここに至るまでに様々な形で色々な人の強い意思や決意を目の当たりにしてきたことも、臆病者の私が一歩踏み出すのに重要だったと思います。少し長くなりますが、書き出してみようと思います。

  • 今年で終わったOrange is the New Blackは、私の人生に大きな影響を与えた映像作品の一つになりました。女子刑務所を舞台とした群像劇で、様々な人々がそれぞれの困難に立ち向かう姿と、それを演じる役者たちに心底惚れ込んでしまいました。中でもNatasha Lyonneは、彼女自身の人格が役柄に見事に投影されているように感じ、その台詞を英語で聞いて学習することでさらに好きになるという好循環をもたらしてくれました。子供の頃にSuzanne Vegaで英語を勉強した時の再来です。
  • RuPaul’s Drag Raceも、多数のクイーン達の受けてきた凄まじい差別や暴力を乗り越えて挑戦し続ける姿に感服しました。この人たちがここまでできるのに、自分が座して不平不満と共に生きていくことを許すわけにはいきません。これまでの人生から全く違った人生への第一歩を、Mama Ruのこの曲と共に踏み出しています。
  • 過去の職場の同僚が何気なく教えてくれたFight Clubも、観るまではその良さがわからなかった映画でした。特に、これを勧めてくれたのが女性だったことで観る気になったことは私にとって大きかったと思います。もし男性が「男が素手で殴りあう映画」と紹介してくれたなら、単なる男性至上主義の映画としてしか捉えることができなかったであろうという意味です。そして、町山智浩のこの解説を聞いていたことで、OITNBの言いたいことを理解する素地が私の中に育まれていたと感じています。
  • 2019年は、Fab 5が日本に来た年でもありました。収録期間中にInstagram上での目撃情報がどんどん上がってきたことに感化され、なんとかして彼らとすれ違うことができないかと頑張ったりもしました。残念ながら叶うことのない願いでしたが、それでも番組の中で彼らが日本人に語りかける言葉は私の中に強く残りました。
  • 自由意志についてずっと疑問に思ってきた私にとって、JokerDark Nightも避けては通れない作品です。自分自身というものが存在するのか、自分の考えというものは存在するのか。これまた町山智浩の解説で視野が広がりました。

起業するからには事業内容を考えないとなりません。私がやりたいことを、ソフトウェアの開発を成功させたいことだと定義しました。そして、自らがソフトウェアを書くわけでもなく、自ら作りたくてたまらないものがあるわけでもない私は、その二者の橋渡しをすることに注力することにしました。これまでもこの仕事をやってきたのですが、一方の都合ばかりが重視され他方が犠牲になるということに辟易していました。ただでさえ優秀な技術者が不足している現状において、これ以上開発現場を軽視することで発注者側が得るものは何もありません。一方で開発側の都合により計画が遅延したりソフトウェアの品質が十分でないことによりビジネスに与える損害も無視できません。この損害は避けようと思えば避けられるものだけに、発注側はもっと「うまいことやる」ことが求められていますが、その具体的な方法は杳として知れません。この問題を解決することに、私の勝機があると感じました。

起業するにあたり、一番悩んだのは会社名です。Mama Ruの台詞からとってEleganza Extravaganzaにしようかと思いましたが、あまりにも抽象的すぎますし意味が分かる人が限られるし説明するのも面倒なので、自分が好きな日本語のひとつである「傾聴」にしました。開発側と発注側の双方のすり合わせを、意見を聞くことで進めていくという私の行動指針を社名にしたのです。何人かの方に名刺を渡して様子をうかがったところ同業の方からは好評ですが、ソフトゥエア業界にいない人からは「なんの会社で何をするのかわからない」というご意見もいただいたので、名刺を含めた広報においてこのご意見を念頭に置いて進めようと思っています。

幸いなことに年始から二つの案件を受注できており、これを成功させて会社としての実績を積み上げて、ゆくゆくは志を同じくする方と共に仕事ができればと思っております。

起業以外

生まれて初めて鈴鹿サーキットを走りました。といっても、レースではなく先導車つきで速度も限られているものです。ちーっとも面白くありませんでした。旅費を含めて三日間と数万円を費やすのなら、関東で開催されているスクールの方が自分の限界を知ることができてよほど面白いと分かりました。鈴鹿まで自走して往復し、せっかくなので三重県もすこし走ってから帰って来たため、復路一日で700kmぐらい運転しましたが、BMWの長距離ツーリング性能は本物であることを改めて実感できたことが収穫でした。来年はタイヤをミシュランのPILOT ROAD 4 GTにしてみようかと思っています。FTR223は、足として都内を駆け回ってくれました。ほぼオフロードに行かなくなったので、来年にはK180からTT100GPに履き替えて、チェーンとスプロケットを交換したいと思っています。

カメラは特に変更なく、今ある機材でセンスを磨くべく頑張ってみました。

旅行にも行きました。マダムと北海道を旅したり湯河原に行ったり、フジロックに出店したり、台風が直撃する直前の房総半島を回ったりしました。来年は、一仕事終えたら海外にふらっと行ってみたいなと思っています。

語学は、アメリカ人の友人と話す時間がかなりあったことと、OITNB の Nickyの台詞を必死になって聞いていたので、かなり上達してきた気がします。英語の電話が怖かった自分を遠く昔の出来事のように感じます。その友人は帰国したので、他に英語を使う機会を見つけないとせっかく上がった能力がまた落ちてしまいそうで怖いです。

バレエやクラシック音楽については、今年は金銭的理由もありあまり楽しむことができませんでした。しかし、緑のテーブルを見ることができたのはなによりでした。連れて行ってくれたマダムに感謝します。萩尾望都のポーの一族展に一度しか行けなかったのは残念でした。

映画はほとんどNetflixになりましたが、前出のJokerに加えてアムネスティ主催の海は燃えている上映会は意義深いものでした。一人の子供を通じて人間の愛と暴力性を同時にここまで描いていることに、深い感動を覚えました。Amazon Primeでみることができますので、こちらからどうぞ。https://amzn.to/2QyD0bB

来年の抱負

とりあえず進むしかないです。テーマソングは、臆病者の私でも進んでいくことをためらわないこの曲に決まりです。

最後になりましたが、いつも支えてくれているマダムに改めて感謝します。ありがとう。

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信頼できるサービスと価格

会社を立ち上げて、まず困るのが銀行口座である。私が起業するとき、具体的には登記する際に個人名の口座を新しく作ってそこに資本金を入れたが、売上を入金してもらうには法人名義の口座がほしい。実際に、社員一名のみの企業で個人名義の口座で業務を行なっている知人に送金するときに、経理から「本当に会社? 本当にこの個人名義の口座に入金していいの?」と問い合わせが来たこともあった。

創業間もない企業で銀行口座を開設することは難しいらしいが、私の場合は税理士さんに紹介してもらってメガバンクに口座を開設する予定である。企業後、取引は一つもなく、経費すら使っていない状況で、である。審査も数日で終わっている。

ところが、別の税理士さんから同じメガバンクについて「マネーロンダリング対策が厳しく、まず口座を作ることができない。」「どうしてもというなら紹介してもいいが、断られるかもしれないし、結果が出るまでに1ヶ月以上はかかる。」という話を同時期に聞いた。同じ銀行でこの差はどこから生じるのだろうか。

まず、私が契約している税理士の顧問料は、他の中小企業の相場より多少高額である。しかし、私の顧問税理士は「他の税理士法人から転職してきたが、ここの税理士法人のやり方だと会社が潰れにくい。それは〜〜。」としっかり説明してくれたし、今後1年間で絶対に出て行くお金、つまり税金の時期を顧問になる前からアドバイスしてくれた。顧問になった後も、事務担当とはchatworkで迅速にやり取りをしてもらえるし、質問にもすぐに答えてくれる。

一方、1ヶ月はかかると言っていた税理士の顧問料は、平均的なものである。多くの中小企業この相場でやっているよね、と言えるものである。つまり普段は仕分ばかりやってもらい、年に一度決算をしてもらい、会社の運営の相談は年に数回のみ企業側から働きかけた場合のみ、ということだそうだ。やりとりもメールで、顧問料の見積もりもすぐには出てこなかった。そういう速度感で経営者から働きかけないとアドバイスをもらえないとしたら、多忙に任せてキャッシュフローを見ることも、将来の売り上げ予定を追いかけることもなく、気がついたら現金が足りなくなり融資も増資も追いつかないということになるのである。

この差は決定的である。お金に関わることを常に相談することができ、会社の状況に応じたアドバイスを提供してもらうことで、ただのサラリーマンが経営者に育って行くのである。そのために顧問料を払うのなら、多少高額でも納得できる。仕分けだけやる税理士なら、会計ソフトの使い方をマスターすることでご用済みになるであろう。AI会計で税理士を解約しよう!なんて製品もでてくるかもしれない。一方、私は今の税理士との顧問契約を続けるであろう。単なる仕分担当ではないアドバイスをもらえること、信頼できるコネクションがあること、そんな本物の「プロフェッショナル」が提供するサービスは、自ずから高額になるのである。

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「ジョーカー」の感想文への反論

映画「ジョーカー」の感想文で評判になっているものがあるが、あまりにも危険な内容だったので反論をしておくことにした。

その感想文とは槙野さやか氏による
「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ  映画『ジョーカー』
である。

論に入る前に私の考え方を明らかにしておくが、私は暴力を肯定しない。銃はこの世から無くなるべきだと思っている。アーサーないしジョーカーが殺人をはじめとする数々の罪を犯したことは許されず、彼は法により裁かれ罰を受けるべきである。

さて、この感想文で著者は
1. アーサーは特に貧困を極めた者ではない。
2. アーサーは貧困だから立ち上がったのではなく、自分に与えられるべきものが与えられなかったから立ち上がった(感想文中の表現を引用すると「ジョーカーになった」)。
3. 結論として「アーサーみたいな人、増えてるもんね、なんかこう、無限の賞賛を求める系の人。ホアキン・フェニックスがアーサーを魅力的に演じすぎていて、まるで時代のヒーローみたいに見えて、よろしくないよ、あの映画はだから、私は支持できないよ」
と述べている。私は問いたい。立ち上がるのに理由がいるのか。「無限の賞賛を求める系の人」が立ち上がって何が悪いのか。

著者が述べているアーサーの人物像は映画と矛盾していない。アーサーが色々なものを切望していることも明らかである。白雪姫のように受動態であるという表現は、あれだけの事件を起こしている人物に対して的を得た表現なのか疑問であり、あえて言えば滑稽な描画であるとは思うが、アーサーが積極的に事態を改善しようとしないと言う意味では間違いではない。普通に起こる不運を受け、何もできなかった人物が「ジョーカーになった」ことを著者は徹底して批判する。まるで、普通の不運の人は黙って不運であり続けろ、と言わんばかりだ。立ち上がるのに状況や身分が限定されるという主張のように解釈できる。「無限の賞賛を求める」こと自体が許されないことのように述べられている。これらの記述は、著者の中に隠された選民主義がこの感想文に顔を覗かせてた片鱗であると、私は感じる。

著者はどのような立場の人物なら「ジョーカーになっ」て良いと考えるのか。極度の貧困状況に置かれて親から虐待の限りを尽くされなければならないのか。アーサーが「無限の賞賛を求める」ことを批判しているが、人がどのような考えを持つかは、基本的人権の中でももっとも重要な思想や言論の自由として絶対的に保証されていることを著者は理解していないのだろうか。

著者が述べているように、この映画でジョーカーは時代のヒーローとして描かれている。ジョーカーは倒され落とされ続けた最後の最後で、クラウンたちからの無限の賞賛の中で破壊されたパトカーの上に立ち上がる。これは、権力者による理不尽な仕打ち、例えば社会的支援を打ち切られること、自分たちの金がごく一部の企業や政治家に還流していること、禁止できるはずの銃を手にしてしまうことなどに対して民衆が立ち上がることを示している。最後のシーンを「与えられるべきものが与えられなかったから、周りのものをぶち殺してやったぜ。」としか理解できないのなら、なんと不幸なことだろう。そのような表面的理解しかできないからこそ、普通の貧者や無限の賞賛を求める人は立ち上がるべきでないというような感想文を書いてしまうのだろう。

この映画は、肥大化した自意識を制御できなくなった者が、同類を率いてテロリスト組織を作ったというものではない。現実世界において、これだけの悲劇が続くのに未だ銃を禁止することができない米国、人々が最低限の人権を享受して生活する最低限の権利すら与えない国々、その状況の中で絶望して生き続ける人々に団結して立ち上がる勇気を与えるのがこの映画の目的である。だから私は、この映画は素晴らしいと思う。

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2018年を振り返って

Netflix

WIREDでNetflixのオリジナル番組の一つとして「クイア・アイ」が紹介されていたのを読んで、なぜか強く惹かれました。月額の固定費用が増えるサービスは可能な限り契約してこなかったのですが、ついにNetflixを契約して観てみると、こんなに面白い番組はないと思える仕上がりでした。リアリティ番組は好きでなかったのですが、クイア・アイは違いました。決まり切ったストーリー、少し不自然な自己肯定感を認めるセリフ、本人の能力を超えるインテリア改造など、一つ一つの要素を取り出してみるとダメな感じなのですが、何故か面白いし、泣かされてしまいます。ゲイの五人の魅力が素晴らしいのも要因の一つとしてあるとは思いますが、改造される側の抱えている問題が自分と近く感じるように演出されているため自分を投影しているのでしょう。

これに続いて時代設定が80年代である女子プロレスドラマの”GLOW”を一気に観て、まだクイア・アイしか視聴履歴がないのにMTV世代のオッさん直撃の番組を勧めてくるNetflixのエンジンの優秀さに舌を巻きました。今は町山智浩が以前紹介していた”Orange is the new black”を必死に時間を作ってみています。これも登場人物の語るセリフと設定された背景が素晴らしく、登場人物の一人一人に強く感情移入してしまいます。

Netflixの良いところは、映画館に行かずとも映画を観ることができることです。今の映画館の観客のマナーは酷いし、一回1800円も払って不快な思いをしながら当たるかハズレかわからない映画を観に行くより、家で快適なヘッドホンをつけてでかいiMacで楽しむほうがよほど快適だと実感してます。なんでもっと早くNetflixを契約しなかったんだろう、そう悔やまれるくらいNetflix廃人になってしまいました。もう映画はIMAXで観るか、Netflixに入ってから観るか、観ないかの三択になりそうです。

カメラと技術

図書館に足繁く通っていると、「リサイクル本」というものが無償で提供されているのに気づくことでしょう。貸し出されなくなった古い本を処分しているのだと思われますが、ここで北海道の山の専門誌「北の山脈」を見つけました。ここに載っている冬山の写真がものすごく美しく、心の底から素晴らしいと思えるものでした。1970年代のこの雑誌に載っている写真は、カメラが電池なしで動いていた時代のものです。「解像感」とか「階調表現」を追い求める今のデジカメの基準からすると、荒いし階調もそんなに豊かではないので人物は暗く潰れてしまっている写真ですが、そんなことはどうでも良いと気付かされました。フォーカスも絞りもシャッター速度もフィルムの選択も全て自分で考え手動で設定し、凍りつく雪山の上で構図を考え、そこにエッヂで雪を跳ねあげながら降りてきたスキーヤーを捉えた写真は、確かな技術と情熱と積み上げられた経験がないと撮れないものだと分かりました。この写真を見るまでは「フルサイズのミラーレスが市場を席巻してる!」と不安な気持ちになっていたのですが、パートナーの「(作品の良し悪しは)機材じゃないねぇ」という指摘もあり、当面は入門機であるEOS 8000Dで頑張ろうと思いました。この写真に巡り会わなければ、今頃はEOS Rに乗り換えていたかもしれません。

チベット

例年の行事に加えて、International Tibet Network主催のアジア地域ミーティングが東京で主催されました。準備にあまり携わることができなかったのですが、多数の友人と再会することができて嬉しかったです。

テンジン・デレク・リンポチェの姪のニマ・ラモを招待しての全国ツアーも実施されました。中国に人権などない、それを改めて感じました。

フジロックにも昨年に引き続き出店しました。シンギングボウルの体験をしていただく企画を考え、色々な人に楽しんでいただきました。特に手にビリビリくる感覚は新鮮だったようで、老若男女問わず素敵な笑顔をたくさん見ることができました。

チベット人写真家つながりで知り合ったカリグラフィー作家の作品も買うことができました。チベット文字のカリグラフィーだと顔文字にも使われていて馴染みがあるかもしれませんが、その技法を絵に応用した作品はとても格好良く一目で気に入ったものです。いわゆる衝動買いというやつですね。

またチベット人のおばあちゃんを日本に招待するということも行いました。日本に来たいおばあちゃんのビザ発行のために私が身元保証をするという経験です。我々日本人は日本人であるというだけでほぼどの国にも短期滞在が認められます。しかし国籍を持たないチベット人にとっては海外旅行をすることはかなり難しいものなのです。これは言葉で書けば単純なことですが、国籍がないということはどういう事か、どのような制約が生まれるのかを私は直接に経験することができました。そして、せっかく日本に来たのだからおばあちゃんを東京一美味しいビストロに招待したのですが、おばあちゃんはチベット料理を食べたがっていて、なかなか難しいものだと思いました。

イベントなど

大原ケイと北丸雄二のトークにいったり、モーターサイクルショーで風間深志に遭遇したり、ライナー・キュッヒルのコンサートに行ったり、三年に一度の世界バレエ大会を見たり、ヤマハのイベントに行ったらキング・ケニーのサインをもらうことができたり、今年も充実していました。生まれて初めて2000GTとLFAのエンジンサウンドを聞くことができて、特にLFAについてはまるで楽器のように歌うエンジンが素晴らしかったです。

仕事

昨年に引き続きクライアントに恵まれ、新しい領域への挑戦をすることができました。仕事仲間から大親友になった人と、改めて一緒に仕事をすることもできました。過去の仕事に関する重要な情報と意見も入手することができました。友人の仕事が危機的状況に陥った時も、話をすることで(きっと)良い方向に進んだと信じています。

一つ気になったのが、「それでいくら儲かるの?」と聞くお客様と、「今やるべきことをやってみよう」というお客様とに二分されてきていることです。「いくら儲かるのか」というのが気になるという気持ちはわかるのですが、「確実に儲かる」なんて詐欺師でも言いません。費用対効果でもROIでも同じこと、これに執着していては敵に先を越されてしまいます。ここが分かっているお客様と、分かっていないお客様に二分されてきているような気がしました。

やり残したことと2019年について

やりたいことが一つ見つかったので、それに向けて身軽になるための準備を進めていたのですが、そうは問屋が卸してくれません。ですが、諦めずに一歩ずつでも先に進むしかないと思っています。

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紅パン

ふと思いついたのだが、紅殻のパンドラのブリ(略)が重要なキャラだと予告されていること、ブリが主人公二人の真実に一番近づいているという事が暗示されていること、AIを積んだクラリオン型が1機しか存在しないのにAIらしいフォボスが出てきたことを合わせると。

以下はもしかしたらネタバレになるかもしれない話なので読みたくない人はここで止めてください。













クラりんは人間じゃないのか。ウザルが趣味で、記憶欠損した人間のゴーストを探し出し、クラリオンであるというアイデンティティを上書きして義体に入れたんじゃないのか。その倫理的に絶対許されない行為を、ブリがあばき出すんじゃないのか。で、ブリの名前が隠されているのは、ブリのゴーストがクラりんのコピー元と極めて近い関係であることを名前が示すからじゃないのか。

12巻でチキン兄が「人間をモノ扱いする奴は許さない」と言ったあたりで、この設定が見えてきた気がする。

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GLOW Gorgeous Ladies Of Wrestling

こんな面白いTVドラマがこの世にあるなんて!

女性が蔑まれ、人種同士がいがみ合い、アメリカが国境に壁を作る2018年に、1980年代のファッション・インテリア・映像演出方法でここまで問題を浮き彫りにすることができるのはすごい。そこには、人間の根源的な生理による変わらぬ問題が存在し続けるという冷酷な事実と、そこに立ち向かう方法が見事に描かれている。説教くさくなく、コメディとして。現在を生きていくために立ちはだかる障害を彼女たちが超えていく様を見て、生きていく糧を得るため。

S2/E10の最後に取ってつけたような新キャラが出てくることで物語が進展するのが興ざめだが、その伏線がずっと前から張られていたことを考えると、人気が出てきたから物語をエンドレスに続けられるようにしているとも思えない。話の巧みさに驚愕する。主人公のルースとデビーが幸福を奪い合い与え合う親友であるという設定に基づいた口喧嘩も、Welfare Queenが本気で傷つく姿も、全ての登場人物にドラマがある。S2/E10で男どもはレスリングを演じているが、それもGorgeous Ladiesがあまりにも本物であったが故のことだろう。とにかく痛快。

また考えを整理して書きつけたい。こうして書いてみると、町山智浩というひとは本当に素晴らしい評論家だ。

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Amazonレビュー消去対策

今後、どんなレビューを書いたらAmazonがそれを消すのかを知るために、辛口レビューについては投稿した内容と原稿を記録しておこうと思います。今回はオリンパスのDM-750です。

https://www.amazon.co.jp/review/R3EFO29WCH0D9M/ref=cm_cr_othr_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=B07976WN8G

投稿済みレビューと原文のキャプチャです。