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紅殻のパンドラ 17巻にみるメモリ空間上の意識体と人間の定義

作画が春夏秋冬鈴さんになって、漫画としての面白さと美しさを兼ね備え、名作を超えて傑作と呼んでもおかしくなくなった、紅殻のパンドラの17巻を購入してさっそく読了した。16巻では「機械の動きを人の動きに制限する」ということが、究極の生体を遊びで作っていたウザルの趣味の悪さを物語っていた。これまでのSFでは機械ないしロボットが人間を超えることが一つのテーマとして語られることが多かった。あるいは人間に近くなりすぎたロボットがテーマであった。そしてロボットと人間の間の感情(愛や信頼)もありふれたテーマであった。しかし紅殻のパンドラでは、生体は製造することができ、人間と機械の境界は曖昧であるという前提がある。その上で読者はウザルの世界を楽しまされている、機械が「自由」になればなるほど人間から離れていくというこれまでのSFとは異なるベクトルによって。

17巻は電脳空間での話が続く。この作品で素晴らしいのは、電脳空間がメモリ空間の描写として素敵なところである。コンピュータサイエンスの教科書的には番地とかNULLとかシフト演算とかから始めたいところであるが、そういう話を全部飛ばし、かつ仮想化技術によって実現された無限のリソースを表現することができているのである。ニコちゃんは、インスタンスを複製してレプリカを作り処理能力を増大することができるEC2のような動きのものを手本にしているようだ。ニコちゃんのレプリカたちは紙面を実際に占有し、自らの体を変形させてドローンなどのツールにすることができている。これはメモリ空間上に存在するデータとプログラム(メソッド)を複合させたオブジェクトの挙動として描かれている。読者向けには単に「プログラム」として紹介されているが、ただのプログラム(ソースコード)だったらバイドに感染されることはできない。このことからもメモリ上にロードされたオブジェクトの挙動だと言える。一方ネネとクラリオンとフォボスは、レプリカを生成することはない。物理世界では相手の目を盗んで自分を複数に見せるようなことをやっていたが、電脳空間ではそのような表現が見当たらない。ものすごく高機能な単一のオブジェクトとしてコンパクトに描かれている。そしてニコちゃんはネネを「機能が欲しい」「性能が欲しい」という表現で羨む。

物理的な生体として人間と機械の差がない世界において、意識体とプログラム(オブジェクト)の差は、自分のレプリカを作ることができるか否か、より正確に書けば、レプリカを必要とするか否か、にあるとこの作品は描いている。

例えばフォボスは、メモリ空間上で(じゃなかった電脳空間上で)消去された自分の一部を自動的に復元している。オブジェクトであればもう一度作り直せばいい話だが、わざわざ生き残った自分から復元している。その方がコストが高いことも復元の速さにニコちゃんが驚愕する様子で示されている。自分がレプリカを作るときはさほど苦労していなかったが故に、フォボスの能力が際立って描かれているシーンだ。もう一つ、フォボスがプログラムであれば、電脳空間でクラリオンと戦う時に、まず真っ先に自分のレプリカを作って優位に立とうとしただろう。ところが彼女はそうはしなかった、ないしできなかった。なぜならば、フォボスはプログラムではなく意識体だからだ。ウザルがフォボスに、自己複製機能ではなく自己修復機能を与えたのは、生命をつくりだそうとしていたからではないか。そしてウザルはそれに成功したのだ。

映画版攻殻機動隊で少佐と人形使いは、生命であることの定義を子孫を残すこととレプリカ(作品上の表現は「コピー」)を作ることの違いである、と論じている。それが正しい生命の定義だとすると、フォボスやクラリオンにレプリカを作る能力を与えず、生殖能力も与えなかったウザルは、意地悪を通り越して悪魔のような存在に私には思えてくる。なぜなら、フォボスやクラリオンは機械にも人間にもなれない、中途半端な存在として生きなければならないのだ。しかも、修復能力はもっているのだから、死ぬこともできない。フォボスが母を求めるのも当然である。こんな中途半端な存在で生まれたくなかっただろうし、しかも自分の記憶はクラリオン由来のものであるから自分と他者との境界も曖昧であり、自分の目的を与えてくれる母は行方不明になってしまい何をするべきかも分からなくなってしまったのだから。そんなフォボスにネネが与えるものは記憶である。いや、思い出といったほうがふさわしいだろう。そのことで、フォボスは人間に一歩近づく。生殖機能を持たないまでも、固有の記憶を持った意識体として彼女は生きていくことができるようになった。

ここまで考えてきて、
機械やプログラムとは、自分を複製(レプリケーションないしコピー)することができる存在。
意識体は、自分を修復することはできるが複製することはできない、つまり「個」という境界を持つ存在。
生命は、記憶(思い出)を持ち生殖機能を持つ存在。
として整理できるのではないか。この漫画は、ネネの世界平和という夢を軸に21世紀のメモリ空間上における生命を定義しようという、極めて意欲的なものだと私は考えている。

そして、「クラリオン型意識体の元はブリン」という仮説を、私はまだ持っている。ブリンはウザルの妹、でどうだろう。