カテゴリー
バイク

ボルトのかじり防止ケミカル

最近ホワイトベースの動画でメンテナンス方法や工具の使い方などのハウツーものをやらなくなったので、四輪で趣味の合う人の動画を見ることにしています。今日はこの動画を見ていました。そして、かじりつき防止にボルトに塗布することのできるケミカルが紹介されていました。

こういうのを待っていたんです! 古いバイクのネジは外すのも難儀ですし、締めたら次に外せるか不安になりますし。早速買おうと思ったらAmazonで複数商品登録がある……。

どれを買うべきか判断がつきかねるので、近所の工具屋さんで買った方がいいかもしれませんね。メーカーの商品紹介ページはこちらです。
MOLYKOTE® 1000 SPRAY

カテゴリー
未分類

FTRメーターについて

メーターの専門店から返事が来ました。

おそらく、針軸の軸受けが大摩耗していて、針のセンタがずれるのに合わせて針が振れています。

なるほど、それであれば特定の速度でだけこの症状が起きるというのも理解できます。

しかし、問題なのは修理代金。類似のケースでオーバーホールして2万円超えとのこと。むー。新品の高機能メーターが買える。高機能メーターにすれば、時計も外気温も分かるし、トリップも二つ付いてくる。良いことづくめなのだが、オリジナルのデザインが崩れてしまうのはどうしたものか。

ああ、悩ましい(そして楽しい)。

カテゴリー
バイク

FTR223の知らなかったいいところ

今日、FTR223の定期メンテナンスである半年に一度のオイル交換を行い、三条の湯への林道に向かった。林道は途中で閉鎖されており最後まで到達することができなかったが、途中でちょっと急な坂があり、試しに1速で登ってみた。ここで初めて、FTRの1速がものすごくローギアードである利点がわかった。急な砂利道でも、トルクに物を言わせてグイグイ登っていけるのである。2万キロのメンテナンスでチェーンと前後スプロケットを交換する際にドライブスプロケットを1丁大きくしようと考えていたのだが、今日の登りっぷりで変速比は下手にいじらないほうが良いと分かった。メーカーの設計の素晴らしさに改めて気付かされる出来事だった。今のままでも、街乗りのスタートがちょっとドンくさいだけで、オフの急斜面の登坂から高速道路の90キロ巡航まで問題ないのだ。たったの223ccで20馬力もなく5速しかないのに。本当に、よくできているバイクだ。改めてFTRが好きになった。


登ったところには白いセダンが放置されており、上の航空写真にもかすかに映っている。このセダンの横には灯油の缶が4つ、そしてゴルフバッグからはアイアンが飛び出ていた。ここは夜には来ちゃダメな場所だと思った。夜に山の中をFTRで走っていて、ぞくっとすることがよくあるのだが、こういうことが日本の山奥では割と頻繁に行われているのかもしれん。まぁ、都会のど真ん中でも死ぬまで働かされる広告代理店とかあるし、日本は死を必死になって隠さなければならないほど、死が身近な国なのかも知れない。
しかし、4輪車であの坂をどうやって登ったんだろう。死ぬ気になれば何でもできるってやつかな。
 
帰りに大月まで降りて中央道で帰ろうとしたのだが、案の定の小仏トンネル大渋滞。ツーリングマップルの指示通りに35号を使ったら小仏トンネルの渋滞を回避しつつ、走りやすい山道で交通量もほぼなく快適だった。相模原でのって、小仏トンネルまで数キロの渋滞を我慢すればあとはスイスイ。和田峠がまだ閉鎖されているのであれば、これが今の所いちばん快適なルートだと思う。
 
高速で70km/hで走っていると、メーターがふらふらと揺れる。先日も同じ症状に悩みメーターケーブルを新品に換えたら治まったのに、再発している。いろいろとネットで調べてみると、ホイールに装着されているメーターギアが摩耗した場合、低速時から15km/h〜20km/hぐらいの振れ幅になるという記事もあり、今回の症状はメーター本体の針のダンパーオイル(グリス)が足りてない場合の記載と一致している。注油の方法はかなりむずかしそうで、専門家に頼むと新品の社外メーターに変えるのの倍の費用がかかりそう。これなら、電気式メーターに交換して積算距離を引き継いだほうがいいような気がする。そうするとトリップも二つつくし。
しかし、新車と中古車の金食い虫具合いは、どっこいどっこいだな。手間は中古車のほうがかかるから、時間を買うなら新車にすべきだな、と実感。

カテゴリー
未分類

「氷の花火〜山口小夜子」の感想

 山口小夜子に魅せられた人々が、自分の中の小夜子という偶像を追い求める映画。そしてその追跡は、映画の最後に紹介される山口小夜子自身の発言で否定される。一言一句覚えてはいないが、モデルということは歩くということ。歩くと躓いたりして新しいものに気づく。新しい人に出会ったりする。だから、歩き続けることはとても大切なこと。ということを山口小夜子は言っている。
 つまり、在りし日の小夜子を求めて、鼻筋がよく似たモデル(松島花)に最大限の小夜子メイクを施し、小夜子カツラを被せて、小夜子の動きをさせたところで、それはランウェイを歩いていることにはならないのだ。それはどうあがいてもイミテーションにしかならないし、本物を超えることはできない。監督を含め、公式サイトに掲載されている人物は全員、小夜子というランウェイを進んでいない。映画に出てくるが公式サイトに載っていない勅使川原三郎だけは、小夜子という偶像に囚われていない。勅使川原は、この映画の本質が懐古趣味の自己満足にすぎないのだと気付いていたから、公式サイトやパンフレットへの自分の名前の掲載を拒んだのではないか。そう邪推せざるをえない出来栄えだった。これでは、山口小夜子がかわいそうだ。
 特に腹立たしいのは丸山敬太がイミテーションの山口小夜子に涙するシーン。山本寛斎と違ってかりそめにも今現在活躍する、毎年新しいものを生み出さなければならないというファッションデザイナーであると、いやしくも自認するのであれば、こういう遊びで涙するような姿はクリエイターとして他人に見せてはならないのではないか。
 山口小夜子が亡くなった直後で、小夜子ロスト症候群から逃れられないのなら仕方のないことかもしれないが、それであったとしても少なくとも仲間内で留めておき映画として公開するような行為ではないだろう。いわんや今は山口小夜子が亡くなってから5年以上経っているのだ。いつまで失われた偶像にしがみつくのだろうか。映像の中の山口小夜子は常に美を限界まで追い求め具現化し、新たな表現を求めた存在だったので、偶像にしがみつく出演者の醜態とのコントラストがさらに際立つ。
 この想いは、山口小夜子展でも感じた。会場の最後の大広間で小夜子マヌカンに悩殺されてゾンビのようにさまよっていたのは一般の非クリエイターであったので、ここは懐古趣味に浸る場所なのだなと割り切ることができた。しかし、同じ事をクリエイターが、しかもファッションデザイナーが公の場でやることは許されない。

 また、映画としても技術的な問題が多い。インタビュイーの顔にピントがあっておらず、背景にピントがあっているシーンが多い。また、効果音がひび割れている。素人が撮ったドキュメンタリーならともかく、美しい作品に関わってきた人が監督したとは信じられない品質。おそらく、山口小夜子と違って映画を数多く見たりしたことが無いのだろう。そういえばファッション通信も、よくピントが外れていたなと思い出した。

カテゴリー
バイク

バイクのタンクの錆を音で知る方法

くぐもった音がポイントだそうです。7分40秒からどうぞ。

カテゴリー
チベット

映画 “Nowhere to call home” の感想

この映画を観終わった後、私が最初に思った言葉は「都合の悪いことばかりな映画だ」でした。チベット人にとっても、漢民族にとっても、中国政府にとっても、チベット・サポーターにとっても、この映画が示す現状は都合の悪いことで満ちています。チベット問題を全て解決する事などできるのだろうか、と考えざるを得ない映画です。

これ以降、ネタバレを含む感想を述べます。また、登場人物の正確な氏名表記が分かりませんので、公式サイトに掲載されているストーリー紹介のページの欧文表記に合わせて記載します。主人公はZantaという女性でありYang Qingという名の息子を連れて、故郷から逃げ出し北京で露天商で食いつないでいます。ZantaとYang QingのIDは義理の父に奪われています。Zantaは北京ではチベット人である事でひどい目にあいIDがないことで生活が困難な状況にあります。故郷では女性である事で息子の養育権を奪われそうになっています。つまり、民族問題と女性問題の双方に苦しむ主人公を描いたドキュメンタリーという構成になっています。

チベット・サポーターである私の視点から見ると、前半部は想像に難くない事実でした。チベット人であるというだけで家も借りれず、借りたとしても警察に踏み込まれ、息子に教育を受けさせることもできない。中国政府の発行するIDがないので不法移民扱いされる。Zantaがチベット人だと分かった漢民族が彼女を見る目は、誰がどう観ても彼女を蔑むものである。Zantaはそのひどい仕打ちの数々について神の不在、あるいは神の彼女に与えた仕打ちであると嘆き悲しんでいます。ここで、チベット人なのにカルマという概念を述べないところが、すでに主人公が漢民族の文化圏に適合し始めていることを示しています。このことは主人公の母と比較すると明らかです。Zantaがここまでひどいカルマを背負っているのなら殺してしまえば良かった(おそらく堕胎を意味しています)と発言しているからです。漢民族に国家を奪われるのみならず文化や個人の考え方や発言までが漢民族の影響を受けている、それはくり返し指摘されてきた事です。そしてチベット人がそれに対抗し得るのは、彼らが仏教徒であり仏教の考え方で行動しているが故であると考えられていました。しかし、この映画に描かれている北京にいるチベット人は、そのような状態ではないと示されています。漢民族の文化圏にいるチベット人は、チベット人ではなくなりかけているのではないかという疑問を持たざるを得ません。漢民族の侵略により分断されたチベット人は、チベット人であり続ける事が困難になってきているのです。

そしてZantaが息子のYang Qingを連れて旧正月に実家に帰る時、その家あるいは地方では女性に価値はないとの証言が紹介されます。また、Yang Qingが男子であるが故に義理の父にYang Qingを渡さねばならないという状況に陥ります。これはチベット圏に詳しい人からすると到底理解できない、あるいは納得がいかないことです。河口慧海の「チベット旅行記」にも記載がありますが、チベット人の社会で女性は男性と同等に、あるいは男性よりも決定権を持つ存在として伝えられてきました。この事は上映会に参加していた複数のチベット人および日本人の中でも最もチベットをよく知る方の一人から強く「これはこの家族だけの話だ」と指摘を受けていました。ジャーナリストが陥る罠、つまり自分が取材した事象が広く一般の基準であると誤解してしまう過ちをこの映画は犯しています。

この映画の監督は、Yang Qingに教育を受けさせる為に義理の父が署名すれば効力を発揮する同意書を弁護士の指導を受け作成します。同意書の内容は、おそらくYang Qingの保護養育者をZantaとするということだと思われます。義理の父は監督や主人公の予想に反し、同意書に署名しました。おそらく欧米人である監督が介入した事により義理の父がこれまでのように強権を振りかざすことが出来なくなったのでしょう。これをきっかけにZantaはYang Qingを学校に通わせる事ができるようになりました。そして、Zantaは監督の紹介で百貨店の催事コーナーでチベット民族のアクセサリを売ることが出来るようになります。北京で着実に仕事をしていくZantaは、北京は自由で故郷は不自由だと述べます。しかし、彼女にとって北京は故郷ではなく、また実家に戻ることもできない状況になりました。これがこの映画のタイトルであるNowhare to call home、直訳すると「この世に家と呼べる場所はない」ということを表しています。

この映画は中国政府の関係者や漢民族の学校で上映する事に成功し、好評を博したそうです。学校での上映後のインタビューに答えた学生が「これまで物売りの事を邪魔だと思っていたが彼女のような身上であったとは初めて知った。これまでの自分の行為を恥じて彼女達に謝りたい。」という主旨の感想を語っていました。つまり、漢民族にとってこれはチベット人の物語ではなく貧しい移民の物語だと受け取られているのです。漢民族は、彼らが行ってきた侵略という歴史的事実を理解していない事が浮き彫りになっています。また、北米でこの映画を上映した時にはメキシコ人から共感を得ることができたそうです。これらのインタビューや反響が特典映像などで流通するようになると、現在のチベット問題の根源が中国政府による独立国の侵略により始まったという歴史的事実が無視されてしまい、単に仕事を求めて貧しい地域から富める地域に移動してきた移民の問題として扱われてしまう可能性があります。

また中国政府からすると、「男尊女卑が依然としてはびこっているチベットを開放し、それで一人の女性が北京で自由に暮らす事ができている」という物語は彼らの行為を正当化することを利するでしょう。つまりこの映画は先に述べた個別の問題を一般化するという過ちによって中国政府にとって有利な内容になっているという問題を新たに作ってしまっています。しかし、中国政府にとってチベット人はやっかいな存在であることが映画の前半で何度も暴露されています。例えば警察が主人公を家から追い出す時の台詞が中国政府のチベット人に対する考え方を如実に示しています。「我々は中国人という一つの民族だ。」これに対しZantaは激怒し「私はチベット人だ。チベット人を侮辱するな。」と答えます。元々独立していた国家を武力で侵略したのですから、警察の述べる理屈が主人公に通用するはずもありません。しかし悲しい事にZantaは「同じ一つの中国人と言うなら、なぜ漢民族には部屋を貸してチベット人には部屋を貸さないのか」と理詰めで警察や家主を追いつめることができないのです。中国政府にとってチベット問題が制御不能の事態に陥っており、この問題を平和に解決する事が不可能な状態にある事が示されています。またチベット人が中国政府の圧政に対し、チベット人として統一されておりかつ有効な反論を持つことの難しさも露呈しています。余談になりますが、別の映像で漢民族の活動家がチベット人の取りうる選択肢を述べている様子と、Zantaの感情的な対応の対比が強烈な印象となって私の記憶に刻まれました。

この映画が主張している問題点を私なりにまとめますと、チベット人はチベット人であり続ける事が困難な状況になっており、かつ中国政府に対して有効な反論をチベット人全員が主張することができていない。中国政府はチベット問題を封じ込めようとしているがチベット人を止めることができない。漢民族は彼らが行ってきた歴史的事実を理解していない。そして人権意識が希薄である。そしてこの映画自体の問題点は、チベット社会が男尊女卑であるとしている点、そして監督自身がチベット問題を移民問題と見なしていると思われる点です。

さて、最後にチベット・サポーターにとっての問題点を論じます。まず、チベット・サポーターがこの映画の監督のようにチベット人を支援できるでしょうか。監督が行ったように中国各地にいるチベット人が生活できるように仕事を与え、彼らの子孫に教育を与える調整を行うことが出来るでしょうか。そしてその教育とは、漢民族の施す教育で本当に良いのでしょうか。ほとんどのチベット・サポーターはチベット問題を広く知ってもらう活動を中心に行っています。そして中国政府に抗議を続けています。しかしそれで十分なのでしょうか。チベット本土のチベット人、中国各地のチベット人、ダラムサラのチベット人、世界各国に散らばっていったチベット人それぞれに最適な支援を我々は行うことができているのでしょうか。この映画自体に問題点はありますが、それでも我々チベット・サポーターは現時点でチベット人が直面している問題点をこの映画のように広く伝え、そして個別に彼らの実家に訪れてまで解決することができているでしょうか。この映画を観て私が強く感じた事は、チベット・サポーターが個別のチベット人をより支援すべきなのではないかという事です。そしてこのような映画ができたとき、その映画を広める事も重要ですが、その映画自体の問題点を冷静に指摘し続ける事も重要だと考えます。チベットは男尊女卑の世界ではないこと。ダライ・ラマ法王猊下が宗教と政治の両方を司る旧態依然とした政治制度を漫然と続けているのではなく、民主的な選挙で選ばれた議員により構成されている現代的な政府組織に変わっていることを世界に伝えられているでしょうか。チベット・サポーターとして、現在の活動を続けているだけでは駄目だと強く感じました。

カテゴリー
未分類

文化と国境と戦争

「チベットと日本の現代史 もう一つの戦後70年」西川一三、野元甚蔵さんが生き抜いた時代を考える(江本嘉伸) に参加してきました。そこで聞いた話を忘れないうちに書き留めておこうと思います。

いろいろな意味で、今も昔もチベットに入る事は難しい事です。最初の日本人がチベットを訪れた1900年代前半はそもそもチベットが鎖国しており外国人の入国が不可能でした。またその鎖国は地理的特性を活かして実現されていたため、チベットへ向かう手段は現地の動物に乗るか歩くかの二つしかなかったようです。現在のチベットは中国の支配下にあるため、外国人がチベットを訪れる為には入域許可証が必要であると聞いています。今も昔も、チベットを訪れる事の難しさに政治的理由はついて回るようです。今回のお話は1939年から1950年にかけてチベットを訪れた野元甚蔵と西川一三のお話でしたが、彼らはモンゴル人を装ってチベットに入りました。1900年にチベット国境を越えた河口慧海は漢民族を装っていました。日本人であることが発覚すると処刑されかねない時代であったことと、野元と西川のチベットに向かう目的が、外務省からの要請によるチベットの文化や風俗の調査であったためです。

ここで興味深いのは、文化圏と人間の関係性です。例えば、異文化の調査を行っているうちに自分が調査対象の文化の一員となってしまう可能性はフィールドワークに常について回ります。素性を隠す必要がなくともこのような可能性があるわけですから、いったんモンゴル人や漢民族になりきった上でチベットに入るということの困難さは容易に想像できると思います。今回のお話で言えば、野元と西川は日本人である事を辞めモンゴル人になりきり、そこからチベットに滞在しチベットの文化や風俗を調査する事が指示されています。そこでモンゴル人からチベット人に変わってしまっては調査になりませんから、辞めてしまった日本人の目でチベット人を見なければならないのです。しかも言葉はモンゴル人で。

このことをふまえると今日の江本さんの発表において彼らが
「日本語が出ずモンゴル語で話し続けた」
ということは想像に難くありません。また2001年のフォーラムにおいて西川がチベットの歌をチベット人と寸分違わぬ歌い方で歌う様子を見る事は、特別な意味があります。その西川はチベット東部に潜伏している際に
「頭が割れそうな雨」
に毎晩襲われたそうです。さらに毎日盗賊が出てきて一番大切なモンゴルから持ってきた鉄鍋を盗られて、チベットで調達した土鍋は重い上に沸騰しないなどという経験を重ねた結果
「チベットは大嫌い」
と愛憎こもった調子で吐き捨てるように西川は発言しています。しかし、土産物や歌を嬉しそうに披露する西川と野元の様子を収めたビデオを観て私は、彼らが日本政府から依頼された調査を行う為にチベットに潜伏したにしては、明らかにチベットに惹かれていたように感じました。

今回の講演で江本さんは、彼らがチベットに行った意味をその当時の戦況や地政学から解釈する事はまったくなさりませんでした。ただ、彼らを追悼する気持ちでこの会を催した、と。しかし今日の話を聞いたり映像を観たのであれば観た者にも責任が発生するのだとおっしゃいました。つまり、チベットに直接行った西川と野元の話を直接聞いてきた江本さんのお話を直接聞いた我々が、今日観たことを後世に伝えるのだと言う事です。私の凡庸な理解ではこのようなブログを書く事しかできませんが、河口慧海や西川の本を読む事でチベットに行くという事を追体験することは非常に愉快な経験であることは間違いないです。先に述べたように政治的理由で入国が困難であり続けるチベットを、今日の講演の題名にあるとおり戦後70年である今追体験する事。その意味は国家の存在に必須な要素としての国境、もう一つの要素である国民が作り上げる文化、そしてそれらを破壊する戦争、この3つの組み合わせにあると感じました。そして皮肉な事に、戦争が要求した調査において国境を超え異文化に触れるという事が為されたこと。それが西川と野村が成し遂げた偉業なのではないかと考えています。

カテゴリー
未分類

石郷丘さん初登場動画(かも)

ホワイトベースの動画が本当に好きです。まだチャンネル登録者が8,000人ぐらいの時からほとんど全ての動画を見ています。ですので、YouTubeはホワイトベースの動画をとてもたくさん勧めてきます。勧められるがままに見直していた動画の中から、ちょっと気になるものを紹介します。という建前ですがほとんど自分の為のメモです。

ホワイトベースの物販を一気に引き受け、京都までカブで行く石郷丘さん、通称ゆう。もしかしてこれが動画初登場なのかな。もう一つ、自己紹介ぽく登場していた、多少発言もあった動画も存在したような気がするので、それも発掘したらリンクします。

カテゴリー
暴力

外交における暴力と非暴力、あるいは日本人のコミュニケーション方法について。

最近、中国が南シナ海を埋め立てて軍事施設を作って支配しようとしているいる、というニュースを良く聞きます(例えば中国軍の演習招待撤回を要求、「挑発目に余る」米上院委など)。南シナ海は日本にとって、資源輸送の重要な航路であり、正に喫緊の問題であるとニュースザップで長谷川幸氏が述べていました。

では日本は南シナ海を巡って中国と戦うべきなのでしょうか? あるいは日本が直接戦うことなく、米国の武力で南シナ海から中国を追い出すべきなのでしょうか? このような事態に対して以前は「外交上の努力」なる言葉を良く耳にしたのですが、最近は「集団的自衛権」ばかりです。武力以外の解決方法はないのでしょうか。例えば交渉することはできないのでしょうか。

交渉する為には、日本が中国に対して有効な外交上のカードを持っているのかどうかが問題となります。そういうカードを持っていない、持とうと努力してこなかったからこそ、このような事態を招いているのではないでしょうか。中国がやたらと好戦的であり野蛮な国であるからこのような事態を招いたというよりも、中国にとって不利になるようなカードを持っていない日本の足元を見ての行動だととらえることもできます。

ではなぜ、日本はそのような交渉のカードを獲得してこなかったのでしょうか? ここに日本人の特性があるような気がします。日本人同士の交渉は、お互いに空気を読み利害関係を調整していきます。実現不可能な選択肢を提示したり、これまでに積み上げてきた合意事項を全部ひっくり返して交渉を有利にもっていくようなことは行われません。しかしここに挙げた二つの交渉方法は、日本人以外が使う手法だと最近知りました。このような交渉術がこれから必要になっていくのではないでしょうか。

武装地帯で安全に過ごすには、丸腰で居ること。非武装で戦争を放棄することが国際社会で平和を実現する方法である。

このような意見もあると思います。私も戦争はしたくありません。しかし、ただ単に非暴力であるだけで物事は解決するのでしょうか。これまでの非暴力の活動が実を結んだ事例はいずれも、非暴力活動家が権力側に何度もしぶとく交渉に応じるように要求し、そこで交渉が行われてきたのだと思います。そしてそこには、ガンジーやキング牧師、ネルソン・マンデラなどの指導者の存在があります。翻って考えると、日本にそのような交渉術があるのでしょうか。その交渉を導く指導者が日本にいるのでしょうか。

ペンは剣よりも強しと言いますが、書く内容とそれを考える人がいなければならないと、最近強く感じています。

 

カテゴリー
未分類

テーマを変更しました。

Googleウェブマスターから、モバイル最適化されてないという連絡が来ていました。
連絡事項は二つです。

  • タップ要素同士が近すぎます
  • コンテンツのサイズがビューポートに対応していません

要は、リンクやボタンがタップしずらく、横スクロールが必要な状態である、もっとざっくり言うとPC向けサイトだと言われているようです。

WordPressの純正テーマTwenty Twelveを使っていてAndroidでみてもそれなりに表示されているのですがそれでは駄目だということでしょう。特にデザインにこだわりもないので、さくっと最新テーマのTwenty Fifteenに換えました。
さて、どういう評価になることやら。ああ、前回直したupdatedが出てないとかいってまた怒られたらやだなぁ。