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2017年お世話になりました。

2017年は色々と充実していて、ここ数年のうちで一番いい年になったんじゃないかと思っています。一年が長かったように感じました。そして、2017年はまだまだ終わらないんじゃないかというような、あと数時間で年が変わるような気がしないままこのテキストを書いています。

ついにダラムサラに旅行に行く。

会社を辞めることにしたので、二週間休みを取ってダラムラサに行ってきました。西欧諸国に行くのには慣れていますがアジアについては全く行ったことがなかったので、準備の段階から色々と調べて行きました。まるで初めての海外旅行のようなドキドキと共に訪れました。現地で友達もでき、日本では見ることのできない宝物をじっくりと拝むこともでき、とても楽しい旅でした。しかし、私はチベット語が話せないので1959を知っている人から直接お話を聞くようなことができず、旅行者が楽しんでいるという段階より先にすすむことができなかったのが残念です。また、ダラムサラはインド北部の街であり、チベット人が多く暮らしていても文化圏としてはインドです。二つの文化がごちゃ混ぜになっているということはなく、インド文化圏の街にチベット人が住んでいるという現状を目の当たりにしました。帰るところのない、自らの国を失ったチベット人。「普段の暮らしには何も困らない、出国するときだけ不便さを感じる」と言うネットワークエンジニアやYouTubeのラップやコメディを英語で聴いている学生と過ごしている彼らに自分たちの文化があまり身の回りにないことについてどう思うか聞いて見ると

「日本だってケンタッキーフライドチキンがあるだろう」

と一蹴されました。ぐぅの音もでませんでした。

そのついでにネパールにも行く。

ダラムサラからカトマンズにも行ってきました。知人がカトマンズに住んでいるため、顔を出してきたのです。個人的には、ニュー・デリーよりカトマンズのほうが好きでした。人々がそこまで急いでいないし、街の規模もそれほど大きくないし、食べ物の当たり外れはあるけどあたり食堂は何を食べても美味しいしで、カトマンズに家を構えて時折山の中で生きていけたら幸せだなぁと思ったのでした。

ネパールから帰国後しばらくして、台湾にも行く。

International Tibet Networkが定期的に開催している勉強会に参加してきました。水曜日は移動日、そのあと日曜日まで連日朝から晩までの学習会です。しかも全部英語で、さらに私が一番得意とするアメリカ英語の話者は一人だけしかいないという内容でした。とってもとっても大変でしたが、得るものも多く刺激的でした。英語の学習に終わりはないということを痛感し、これまでの英語学習法を中断し、初心に戻って暗記を行っています。

レストランの店長を代行する。

都営新宿線曙橋駅から徒歩五分のところにある「タシデレ」というチベット料理店にて、店長を代行しました。そのお店の店長が企画した南インドのチベット寺院をめぐる旅行に出かけてしまうため、留守をお預かりすることになったのです。これまでも注文を取ったり精算したりキッチンの料理人と雑談したりしていたので一つ一つの作業は分かってはいました。しかし丸一日レストランに滞在して店長として働くことは初めての経験で、面白くもあり厳しい面もある仕事でした。想定外の問題も発生しましたが、なんとか乗り越えてきました。みなさん、お気に入りのレストランには足繁く通ってくださいね。お客さんが来てくれることが何より嬉しい、そういう気持ちがよくわかる経験でした。

フジロックのNPO/NGOブースに出店する。

これまでに挙げて来たことと比べると幾分か簡単なことに類されるのですが、フジロックのNGOヴィレッジにStudents for a Free Tibet Japanが出展しました。説明会に行けないことがあったり、搬入に参加できなかったりと、予定が合わず一部分だけの参加になったのが残念でしたが、久しぶりに山の中でテント泊を体験しました。山の中ならではの雨や気温の変動も心地よく、つくづく東京都は暮らしづらい場所だと改めて思います。

Dhondup WangchenとLamo Tso。

2008年北京オリンピックを開催することについてチベット人のインタビューを集めた映画を撮ったDhondup Wangchenさんは出獄後も中国当局の監視下に置かれ自由な行動はできませんでした。彼のパートナーLamo Tsoを主人公にしたドキュメンタリー映画「ラモツォの亡命ノート」が今年公開され、私も協力させていただきました。そしてこの映画が無事に公開され、そして、なんとDhondup Wangchenが無事に米国に亡命することができました。チベット支援者にとって今年一番良いニュースとなりました。私の個人的な出来事ではないのですが、私の2017年をまとめるにあたりこれは重要なニュースなのです。チベットを取り巻く状況は根本的には改善しておらず、焼身抗議が続いています。Dhondup Wangchenさんは亡命することができましたが、チベットの地では今もチベット人が自由を奪われたまま暮らしています。Dhundup Wangchenさんの問題が解決しただけではチベット問題は解決しません。次には5日後にTashi Wangchukさんの裁判が始まってしまいます。決してあきらめず、声を上げ続けていかねばなりません。

变态辣椒さん米国に出国する。

2016年に出会っていた变态辣椒さんと仕事をしていたのですが、急遽彼が米国に移ることとなりました。彼は今、米国で住まいも仕事も得て元気に活躍しています。彼が日本という国家を選ばず米国を選んだということが残念ですが、私の手元には彼が集団的自衛権のデモの際に掲げた絵が三枚残されました。彼は次のようなことを言っていました。

「日本という国は、政府に対して反対意見を言うこともでき、そこでさらに意見を述べることもできる。」

この言葉と彼が残した絵を、常に心に留めて活動を続けていこうと思っています。

Liu Xiaobo死去。

ノーベル平和賞受賞者のLiu Xiaoboがついに亡き人となってしまいました。中国のやり方に対して、絶対に屈せず、折を見てこんな写真を撮っていこうと思っています。

https://www.instagram.com/p/BcYloXrHY3e/

Clothesline Project再開。

久しぶりに女性関連の活動です。といってもClothesline Projectは女性だけでなく性的暴力の被害者の気持ちを表現する方法を提供する団体なので「女性問題」と書いたら代表におこられちゃいますが。チベットと仕事と三足のわらじは大変なので、できる範囲で活動していこうと思っています。

新しくできた友達。恩師に会いにいく。

新しい仕事仲間もできました。一緒に会社を辞めた同僚と友達になったりしました。大学の国語の先生に会いにバイクで一泊二日の旅行をしたりしました。人と人との繋がりはFacebookなどで一変するという意見もあると思いますが、昔ながらの対面そして対話は非常に重要だと改めて思っています。

しかし、対面で対話していても人の本質が見えなかったことも今年はなんども経験してきました。僕のことを「中原中也のようだ」と評した人は、仕事を全くせず会社でもゲームをやるかまとめサイトをみるだけの給料泥棒だったことがわかりました。一緒に働いていたとある人は何もしない顧客を相手にした大変な案件を「母親が死にそう」と言いながら担当し続け、「妻が退職して母を介護することになったからもう大丈夫」と言い、そのうち母親の生死が不明のまま出社しなくなりました。やはり一緒に働いていた別のもう一人の人は、逮捕されました。三人とも私の目から見ておかしいとは思えず(母親はどういう容態なんだろうとは思っていましたが)、自分には人を見る目がないんだろうな、ということに気付かされた年でもありました。

年間撮影枚数一万枚以上か?

写真撮影のテクニックは上がってきたように思います。Macの中身を確認してみるとチベット関連で1596枚の写真を保存してありました。打率一割だとしても一万五千枚は撮ったことになります。もう少し打率が良かったとしても一万枚以上は撮ったことになるでしょう。来年はもう少し露出にこだわって行きたいと思っています。

あ、最後になりましたが九年間務めた会社を辞めて転職しました。