Amazonレビュー消去対策

今後、どんなレビューを書いたらAmazonがそれを消すのかを知るために、辛口レビューについては投稿した内容と原稿を記録しておこうと思います。今回はオリンパスのDM-750です。

https://www.amazon.co.jp/review/R3EFO29WCH0D9M/ref=cm_cr_othr_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=B07976WN8G

投稿済みレビューと原文のキャプチャです。

Amazonレビューが消えた

とあるIT関連小説家の駄作についてAmazonに真剣レビューを書いて掲載されていたのだが、いつの間にか消えてしまっていました。Amazonで星一つでレビューを書いても消されてしまうのでは、消費者が無駄な出費を避けるためにレビューを利用するということは期待できません。

なぜこれを書いているかというと、とある小説家がとある雑誌に寄稿していた内容があまりにも無様なものであったからです。日本のネトウヨがどうやって世論操作されているかということを解析しているのですが、3ページにもわたる長文にも関わらず結果が示されていません。これには心底がっかりし、編集部に

トロールやボット運用を行っているのは誰かを日本のメディアが暴くべきと一田氏は述べていますが、それこそがFACTAおよび一田氏のやるべき仕事ではないでしょうか。

とメールを書いて送ってしまいました。あ、雑誌名も著者名もバレちゃった。

2017年お世話になりました。

2017年は色々と充実していて、ここ数年のうちで一番いい年になったんじゃないかと思っています。一年が長かったように感じました。そして、2017年はまだまだ終わらないんじゃないかというような、あと数時間で年が変わるような気がしないままこのテキストを書いています。

ついにダラムサラに旅行に行く。

会社を辞めることにしたので、二週間休みを取ってダラムラサに行ってきました。西欧諸国に行くのには慣れていますがアジアについては全く行ったことがなかったので、準備の段階から色々と調べて行きました。まるで初めての海外旅行のようなドキドキと共に訪れました。現地で友達もでき、日本では見ることのできない宝物をじっくりと拝むこともでき、とても楽しい旅でした。しかし、私はチベット語が話せないので1959を知っている人から直接お話を聞くようなことができず、旅行者が楽しんでいるという段階より先にすすむことができなかったのが残念です。また、ダラムサラはインド北部の街であり、チベット人が多く暮らしていても文化圏としてはインドです。二つの文化がごちゃ混ぜになっているということはなく、インド文化圏の街にチベット人が住んでいるという現状を目の当たりにしました。帰るところのない、自らの国を失ったチベット人。「普段の暮らしには何も困らない、出国するときだけ不便さを感じる」と言うネットワークエンジニアやYouTubeのラップやコメディを英語で聴いている学生と過ごしている彼らに自分たちの文化があまり身の回りにないことについてどう思うか聞いて見ると

「日本だってケンタッキーフライドチキンがあるだろう」

と一蹴されました。ぐぅの音もでませんでした。

そのついでにネパールにも行く。

ダラムサラからカトマンズにも行ってきました。知人がカトマンズに住んでいるため、顔を出してきたのです。個人的には、ニュー・デリーよりカトマンズのほうが好きでした。人々がそこまで急いでいないし、街の規模もそれほど大きくないし、食べ物の当たり外れはあるけどあたり食堂は何を食べても美味しいしで、カトマンズに家を構えて時折山の中で生きていけたら幸せだなぁと思ったのでした。

ネパールから帰国後しばらくして、台湾にも行く。

International Tibet Networkが定期的に開催している勉強会に参加してきました。水曜日は移動日、そのあと日曜日まで連日朝から晩までの学習会です。しかも全部英語で、さらに私が一番得意とするアメリカ英語の話者は一人だけしかいないという内容でした。とってもとっても大変でしたが、得るものも多く刺激的でした。英語の学習に終わりはないということを痛感し、これまでの英語学習法を中断し、初心に戻って暗記を行っています。

レストランの店長を代行する。

都営新宿線曙橋駅から徒歩五分のところにある「タシデレ」というチベット料理店にて、店長を代行しました。そのお店の店長が企画した南インドのチベット寺院をめぐる旅行に出かけてしまうため、留守をお預かりすることになったのです。これまでも注文を取ったり精算したりキッチンの料理人と雑談したりしていたので一つ一つの作業は分かってはいました。しかし丸一日レストランに滞在して店長として働くことは初めての経験で、面白くもあり厳しい面もある仕事でした。想定外の問題も発生しましたが、なんとか乗り越えてきました。みなさん、お気に入りのレストランには足繁く通ってくださいね。お客さんが来てくれることが何より嬉しい、そういう気持ちがよくわかる経験でした。

フジロックのNPO/NGOブースに出店する。

これまでに挙げて来たことと比べると幾分か簡単なことに類されるのですが、フジロックのNGOヴィレッジにStudents for a Free Tibet Japanが出展しました。説明会に行けないことがあったり、搬入に参加できなかったりと、予定が合わず一部分だけの参加になったのが残念でしたが、久しぶりに山の中でテント泊を体験しました。山の中ならではの雨や気温の変動も心地よく、つくづく東京都は暮らしづらい場所だと改めて思います。

Dhondup WangchenとLamo Tso。

2008年北京オリンピックを開催することについてチベット人のインタビューを集めた映画を撮ったDhondup Wangchenさんは出獄後も中国当局の監視下に置かれ自由な行動はできませんでした。彼のパートナーLamo Tsoを主人公にしたドキュメンタリー映画「ラモツォの亡命ノート」が今年公開され、私も協力させていただきました。そしてこの映画が無事に公開され、そして、なんとDhondup Wangchenが無事に米国に亡命することができました。チベット支援者にとって今年一番良いニュースとなりました。私の個人的な出来事ではないのですが、私の2017年をまとめるにあたりこれは重要なニュースなのです。チベットを取り巻く状況は根本的には改善しておらず、焼身抗議が続いています。Dhondup Wangchenさんは亡命することができましたが、チベットの地では今もチベット人が自由を奪われたまま暮らしています。Dhundup Wangchenさんの問題が解決しただけではチベット問題は解決しません。次には5日後にTashi Wangchukさんの裁判が始まってしまいます。決してあきらめず、声を上げ続けていかねばなりません。

变态辣椒さん米国に出国する。

2016年に出会っていた变态辣椒さんと仕事をしていたのですが、急遽彼が米国に移ることとなりました。彼は今、米国で住まいも仕事も得て元気に活躍しています。彼が日本という国家を選ばず米国を選んだということが残念ですが、私の手元には彼が集団的自衛権のデモの際に掲げた絵が三枚残されました。彼は次のようなことを言っていました。

「日本という国は、政府に対して反対意見を言うこともでき、そこでさらに意見を述べることもできる。」

この言葉と彼が残した絵を、常に心に留めて活動を続けていこうと思っています。

Liu Xiaobo死去。

ノーベル平和賞受賞者のLiu Xiaoboがついに亡き人となってしまいました。中国のやり方に対して、絶対に屈せず、折を見てこんな写真を撮っていこうと思っています。

Clothesline Project再開。

久しぶりに女性関連の活動です。といってもClothesline Projectは女性だけでなく性的暴力の被害者の気持ちを表現する方法を提供する団体なので「女性問題」と書いたら代表におこられちゃいますが。チベットと仕事と三足のわらじは大変なので、できる範囲で活動していこうと思っています。

新しくできた友達。恩師に会いにいく。

新しい仕事仲間もできました。一緒に会社を辞めた同僚と友達になったりしました。大学の国語の先生に会いにバイクで一泊二日の旅行をしたりしました。人と人との繋がりはFacebookなどで一変するという意見もあると思いますが、昔ながらの対面そして対話は非常に重要だと改めて思っています。

しかし、対面で対話していても人の本質が見えなかったことも今年はなんども経験してきました。僕のことを「中原中也のようだ」と評した人は、仕事を全くせず会社でもゲームをやるかまとめサイトをみるだけの給料泥棒だったことがわかりました。一緒に働いていたとある人は何もしない顧客を相手にした大変な案件を「母親が死にそう」と言いながら担当し続け、「妻が退職して母を介護することになったからもう大丈夫」と言い、そのうち母親の生死が不明のまま出社しなくなりました。やはり一緒に働いていた別のもう一人の人は、逮捕されました。三人とも私の目から見ておかしいとは思えず(母親はどういう容態なんだろうとは思っていましたが)、自分には人を見る目がないんだろうな、ということに気付かされた年でもありました。

年間撮影枚数一万枚以上か?

写真撮影のテクニックは上がってきたように思います。Macの中身を確認してみるとチベット関連で1596枚の写真を保存してありました。打率一割だとしても一万五千枚は撮ったことになります。もう少し打率が良かったとしても一万枚以上は撮ったことになるでしょう。来年はもう少し露出にこだわって行きたいと思っています。

あ、最後になりましたが九年間務めた会社を辞めて転職しました。

仏具「マニ車」の写真

うちにあるマニ車の写真が発掘された記念に。

チベット人に聞いたところ、このマニ車に彫ってあるのはサンスクリットで「オンマニペメフム」だそうです。

2016年お世話になりました。

今年も一年、あっという間でした。しかし、今年は忘れられない出来事がいくつもあり、その中で最も重要だったことからお伝えしようと思います。

non-derogable な権利。

チベットの支援活動の一環で、政府に提出する文書の英日訳を作成しました。そこで、この言葉に出会ったのです。見たことも聞いたこともないので辞書で調べると、そもそもderogableという単語は存在していないのでした。derogateは存在していたので、そこから類推するに「制限されない権利」というのが直訳です。しかし、原文は

non-derogable rights, such as freedom from torture.

となっていて、そもそも中国がチベット人の人権を侵害しているという主張の一部で使われています。そこを「拷問されない自由などの制限されない権利」としてしまうと、原文の強い口調が柔らかくなってしまいます。また、パッと読んで意味が通じることも期待できない訳となってしまいます。この訳以外に何かうまい訳語はないかと色々と探し回りましたが、Oxfordの辞書にも載っていない言葉が日本で普通に通用しているわけもなく、行き詰まってしまいました。そもそもこの言葉を最初に使い出したのは誰なのかと調べてみると、国連の資料に定義がありました。簡単に紹介しますと、「国家の存続のような公的な危機であっても、制限されることは決して許されない人権」であり「生きる権利」や「拷問の禁止」や「同意のない医療的あるいは科学的実験」や「思考および良心および信仰の自由」などが例として挙げられています。

これを翻訳していたのは春頃で、トランプ氏がいよいよ共和党の候補者となるのが濃厚になってきた頃でした。人間として絶対に侵害されないこれらの権利について彼が根本的に無知であることに、私は深く失望しました。国連の資料にあるように、例え国家の存亡の危機においても、誰かを拷問したり殺したりすることは許されないのです。しかし米国は裁判も行わず容疑者を次々と射殺しています。アルカイーダのウサーマ・ビン・ラーディンも、オバマ大統領によって裁判にかけられることなく殺されました。911のような歴史を変える重大事件の主犯格を裁判にかけて事件の背景を明らかにすることは極めて重要なことではないのでしょうか。ノーベル平和賞受賞者が率いてもこの有様ですから、トランプ氏が率いる米国はなにをやらかすのか、言いようのない不安を覚えました。

さてこの訳語ですが、友人を頼って専門家の意見も聞くことができたのですが「まだ日本の訳語が確立しておらず、ノン・デロゲーブルとカタカナを使っている」とのことでした。仕方ないので必死に考えた結果「絶対不可侵な権利」としました。この文書の冒頭に使われたこの言葉を含む一段落を紹介します。

中国は、拷問を受けない権利などの絶対不可侵な権利はもとより経済的、文化的、社会的な権利にも及ぶ厳しいUPRの勧告に従うと約束した。しかしながらUPRの2回目以来、中国は基本的人権と理由のない拘留や偽の裁判、投獄、そして拷問に直面している人権活動家への攻撃を強める一方である。

この言葉に触れたことにより、私の人権に対する考え方は一歩前進したと思います。これまでは、人権とは何か、この考えはどのように発生したのか、などの基本的なことを学ぶばかりで人権があることによりどのような良いことがあるのか、などは説明できないでいました。しかし今ははっきりと主張できます。人権が保障される社会では、その社会はより進化するのです。どのような力が存在しようとも自分の意見を自由に持つことができ、発言することができる、それこそが議論を通してお互いを高めあうことのできる社会ではないでしょうか。

レンズ沼は意外と浅かった。

昨年EOS 8000Dを導入し今年はいわゆる大三元のうち望遠と標準を揃えました。個人的な趣味で魚眼レンズも買いました。さすがにこれらのレンズの描写はすばらしく、パッと撮っただけでもこんな写真が撮れます。

良いレンズは絵が素晴らしい、と思っていたのですがキットレンズもなかなかだということがわかりました。次の写真は、18-135mmという高倍率ズームレンズで撮影したものです。

全体的な質感は大三元には及びませんが、帽子やおでこが太陽光に照らされている感じ、中国大使館のポストの冷たさがよく出ていると思います。この一枚は、私にとって極めて重要な写真です。「中国の圧政には絶対に屈しない」というメッセージを中国政府に直接届けている瞬間なのですから。写真に一番重要なのは、真剣さだということが分かりました。レンズ沼などにはまっている場合ではありません。一枚一枚を真剣に撮れば、入門機とキットレンズでも十分に満足出来る写真にすることができます。

大切な場所を失うということ。

今年は残念なこともありました。大切な大切な喫茶店が閉店してしまったのです。このことについてピーター・バラカンさんのラジオに投稿し、採用されました。そして、私がJoni Mitchellの”if”リクエストしたということが喫茶店のオーナーに伝わり、間接的ながら私の気持ちを伝えることができました。直接、目を見てお別れを言いたかったのですが、ラジオの魔法のおかげでオーナーに私の気持ちがより強く伝わったような気がしています。ピーター・バラカンさんのラジオがなくならないようにしなくては。

Mac買い替え。

2009年より7年間使ったMacBook(Late 2008, Aluminum)を知人に譲り、iMac 21 inch(Retina 4K, Late 2015)に買い替えました。PowerBook Duo210以降、すべてのMacにノート型を選んできたのですが、iPhoneとクラウドでほぼすべてのことができる時代になり、Macを持ち歩くことも無くなったため性能と価格で有利なデスクトップ型にしました。ちょっと前だったら、頑固にノート型を選んでいたかと思いますが、歳をとって無意味な主義を通すことの無意味さに気づくことができるほどには成長したようです。

組織という化け物。

秋にやっていた仕事で、IT担当に正社員がまったく起用されていないクライアントがいました。正社員がいないので、システム担当者は自分に指示された仕事しかしません。その結果、システム全体を見渡した優先順位付けを行うことができていませんでした。本来であれば既存のシステムの安定稼働を先行させるべきなのに次期システム更改をすすめており、案の定既存のシステムにおいて大事故が発生してしまいました。それとともに私が受注していた仕事はキャンセルとなってしまいました。私の仕事はともかく、既存のシステムに事故が起きる危険性があるとRFPにも書いてありながらそれを優先して対処しないという結論に至った組織というのは恐ろしいものだと思いました。

原爆の図。

丸木美術館に行ってきました。

韓国からのお客様が多数来ていて、写真を撮りまくっていました。ぜひ、SNSでシェアしまくって頂きたいものです、原爆の悲惨さを。

趣味。

バイクは、FTR223が購入してから3年経ち、自賠責を更新しました。リアタイヤがそろそろ寿命なので、TT100GPにするかK180のままにするか悩んでいます。K1200RSは前後タイヤを交換しました。東京から長野の山奥まで1日で500kmを往復したりして、疲れながらも楽しい思い出になりました。

バレエは、伴奏の酷さに辟易した一年だったと思います。バレエ101という演目が、バレエの基本的な型と欧米での入門編を示す101とをかけているあたりが素敵でした。シムキンも最高でした。

ものすごく美味しいレストランがもう一つ見つかり、お金と胃袋がマジで足りません。

それではみなさま、2017年も健康で平和な一年とならんことを。

トルクレンチを使う意味とボルトの素材

すごく勉強になる動画です。

大雑把にまとめると

  • 鉄製のボルトは、自らの首の下が伸びることによりナットとボルトの頭の間に引っ張る力を生み出し、緩むことがない。
  • ホームセンターで売っているステンレスのボルトは鉄ほど伸びないから車用に使ってはダメ。
  • トルクレンチは、ボルトの首の下を伸ばす力を制御するために使う。また一度で一気に規定トルクまで締めてもあとから緩むことがあるので、2回締めるのが安全。
  • どうしてもオーバートルクになってしまうのが気になる場合、少し低めのトルクで締めた後に、規定トルクを設定して締めるとよい。

というところでしょうか。私もホームセンターのボルトを使ってしまっている部分があるので、早速純正のボルトを発注しなきゃ。なんか純正のボルトは良い感じだけどホームセンターのはダメだなぁと感じていた理由がはっきりわかって、とても良い勉強になりました。

ボルトのかじり防止ケミカル

最近ホワイトベースの動画でメンテナンス方法や工具の使い方などのハウツーものをやらなくなったので、四輪で趣味の合う人の動画を見ることにしています。今日はこの動画を見ていました。そして、かじりつき防止にボルトに塗布することのできるケミカルが紹介されていました。

こういうのを待っていたんです! 古いバイクのネジは外すのも難儀ですし、締めたら次に外せるか不安になりますし。早速買おうと思ったらAmazonで複数商品登録がある……。

どれを買うべきか判断がつきかねるので、近所の工具屋さんで買った方がいいかもしれませんね。メーカーの商品紹介ページはこちらです。
MOLYKOTE® 1000 SPRAY

FTRメーターについて

メーターの専門店から返事が来ました。

おそらく、針軸の軸受けが大摩耗していて、針のセンタがずれるのに合わせて針が振れています。

なるほど、それであれば特定の速度でだけこの症状が起きるというのも理解できます。

しかし、問題なのは修理代金。類似のケースでオーバーホールして2万円超えとのこと。むー。新品の高機能メーターが買える。高機能メーターにすれば、時計も外気温も分かるし、トリップも二つ付いてくる。良いことづくめなのだが、オリジナルのデザインが崩れてしまうのはどうしたものか。

ああ、悩ましい(そして楽しい)。

FTR223の知らなかったいいところ

今日、FTR223の定期メンテナンスである半年に一度のオイル交換を行い、三条の湯への林道に向かった。林道は途中で閉鎖されており最後まで到達することができなかったが、途中でちょっと急な坂があり、試しに1速で登ってみた。ここで初めて、FTRの1速がものすごくローギアードである利点がわかった。急な砂利道でも、トルクに物を言わせてグイグイ登っていけるのである。2万キロのメンテナンスでチェーンと前後スプロケットを交換する際にドライブスプロケットを1丁大きくしようと考えていたのだが、今日の登りっぷりで変速比は下手にいじらないほうが良いと分かった。メーカーの設計の素晴らしさに改めて気付かされる出来事だった。今のままでも、街乗りのスタートがちょっとドンくさいだけで、オフの急斜面の登坂から高速道路の90キロ巡航まで問題ないのだ。たったの223ccで20馬力もなく5速しかないのに。本当に、よくできているバイクだ。改めてFTRが好きになった。


登ったところには白いセダンが放置されており、上の航空写真にもかすかに映っている。このセダンの横には灯油の缶が4つ、そしてゴルフバッグからはアイアンが飛び出ていた。ここは夜には来ちゃダメな場所だと思った。夜に山の中をFTRで走っていて、ぞくっとすることがよくあるのだが、こういうことが日本の山奥では割と頻繁に行われているのかもしれん。まぁ、都会のど真ん中でも死ぬまで働かされる広告代理店とかあるし、日本は死を必死になって隠さなければならないほど、死が身近な国なのかも知れない。
しかし、4輪車であの坂をどうやって登ったんだろう。死ぬ気になれば何でもできるってやつかな。
 
帰りに大月まで降りて中央道で帰ろうとしたのだが、案の定の小仏トンネル大渋滞。ツーリングマップルの指示通りに35号を使ったら小仏トンネルの渋滞を回避しつつ、走りやすい山道で交通量もほぼなく快適だった。相模原でのって、小仏トンネルまで数キロの渋滞を我慢すればあとはスイスイ。和田峠がまだ閉鎖されているのであれば、これが今の所いちばん快適なルートだと思う。
 
高速で70km/hで走っていると、メーターがふらふらと揺れる。先日も同じ症状に悩みメーターケーブルを新品に換えたら治まったのに、再発している。いろいろとネットで調べてみると、ホイールに装着されているメーターギアが摩耗した場合、低速時から15km/h〜20km/hぐらいの振れ幅になるという記事もあり、今回の症状はメーター本体の針のダンパーオイル(グリス)が足りてない場合の記載と一致している。注油の方法はかなりむずかしそうで、専門家に頼むと新品の社外メーターに変えるのの倍の費用がかかりそう。これなら、電気式メーターに交換して積算距離を引き継いだほうがいいような気がする。そうするとトリップも二つつくし。
しかし、新車と中古車の金食い虫具合いは、どっこいどっこいだな。手間は中古車のほうがかかるから、時間を買うなら新車にすべきだな、と実感。

「氷の花火〜山口小夜子」の感想

 山口小夜子に魅せられた人々が、自分の中の小夜子という偶像を追い求める映画。そしてその追跡は、映画の最後に紹介される山口小夜子自身の発言で否定される。一言一句覚えてはいないが、モデルということは歩くということ。歩くと躓いたりして新しいものに気づく。新しい人に出会ったりする。だから、歩き続けることはとても大切なこと。ということを山口小夜子は言っている。
 つまり、在りし日の小夜子を求めて、鼻筋がよく似たモデル(松島花)に最大限の小夜子メイクを施し、小夜子カツラを被せて、小夜子の動きをさせたところで、それはランウェイを歩いていることにはならないのだ。それはどうあがいてもイミテーションにしかならないし、本物を超えることはできない。監督を含め、公式サイトに掲載されている人物は全員、小夜子というランウェイを進んでいない。映画に出てくるが公式サイトに載っていない勅使川原三郎だけは、小夜子という偶像に囚われていない。勅使川原は、この映画の本質が懐古趣味の自己満足にすぎないのだと気付いていたから、公式サイトやパンフレットへの自分の名前の掲載を拒んだのではないか。そう邪推せざるをえない出来栄えだった。これでは、山口小夜子がかわいそうだ。
 特に腹立たしいのは丸山敬太がイミテーションの山口小夜子に涙するシーン。山本寛斎と違ってかりそめにも今現在活躍する、毎年新しいものを生み出さなければならないというファッションデザイナーであると、いやしくも自認するのであれば、こういう遊びで涙するような姿はクリエイターとして他人に見せてはならないのではないか。
 山口小夜子が亡くなった直後で、小夜子ロスト症候群から逃れられないのなら仕方のないことかもしれないが、それであったとしても少なくとも仲間内で留めておき映画として公開するような行為ではないだろう。いわんや今は山口小夜子が亡くなってから5年以上経っているのだ。いつまで失われた偶像にしがみつくのだろうか。映像の中の山口小夜子は常に美を限界まで追い求め具現化し、新たな表現を求めた存在だったので、偶像にしがみつく出演者の醜態とのコントラストがさらに際立つ。
 この想いは、山口小夜子展でも感じた。会場の最後の大広間で小夜子マヌカンに悩殺されてゾンビのようにさまよっていたのは一般の非クリエイターであったので、ここは懐古趣味に浸る場所なのだなと割り切ることができた。しかし、同じ事をクリエイターが、しかもファッションデザイナーが公の場でやることは許されない。

 また、映画としても技術的な問題が多い。インタビュイーの顔にピントがあっておらず、背景にピントがあっているシーンが多い。また、効果音がひび割れている。素人が撮ったドキュメンタリーならともかく、美しい作品に関わってきた人が監督したとは信じられない品質。おそらく、山口小夜子と違って映画を数多く見たりしたことが無いのだろう。そういえばファッション通信も、よくピントが外れていたなと思い出した。